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主観と客観 【論文】 スプリント走加速局面における主観的努力度の変化がパフォーマンスに及ぼす影響
  Posted on Tue 06 Feb 2007 by kito (4165 reads)
伊藤浩志(筑波大学体育科学研究科), 村木征人(筑波大学), 金子元彦(順天堂医療短期大学)

1.緒言
(1)はじめに

 スポーツの場面において主観的な情報は選手,指導者の双方にとって重要な役割を持つ.マイネル16)は,運動における「高い能力は,練習やトレーニングを通じて高度に発達させられた運動分析器の成果と感覚運動系の成果と,またスポーツ行為に内在する実践的知能としての運動知能の成果が一緒になっている」ものと述べ,主観的な情報が実践的に有効なものであるとしている.また,「優れたコーチは観察した運動経過を運動感覚によって“中から”知覚している」とも述べている.これらはいずれも“主観的な”内なる情報の重要性を示唆している.福永ら8)は,「プレーヤーにとっては主観的な“感じ”が重要であり,指導者にとっては“感じ”についての客観的事実を知る必要がある」とし,さらに,指導者は,「“感じ”と客観的事実のずれを把握し,事実を“感じ”に直して伝達すること」が重要な役割の一つであるとしている.そのコーチングの場面においての主観的な情報と客観的な事実の関係について深代7)は,「コーチは選手の動作を局面ごとの形の連続体として観察し,“形と速度”(客観的な事実)という次元で捉え,選手は動作の構築において筋感覚である“力・加速度”(主観的な感覚)を基に動作をコントロールしている」と述べている.そして,優れたコーチには主観的な感覚と客観的な事実の関係をよく理解し「選手が筋感覚を基に動作をコントロールしやすい言葉(アドバイス)を選ぶことができる能力」が必要であるとしている.
 人の運動では,様々な場面で主観的な情報を頼りに出力を制御することがある.トレーニングでは主観的な情報(感覚)に基づいて強度が決定されることがしばしばあり,コーチングにおいても感覚的な言葉によって強度を指示する場合が少なからず存在する.こうしたことから,これまで主観的な努力度とそれによって行われる運動の客観的計測値との対応関係についての報告が多くなされてきた.また,行われた運動の運動強度の主観的な知覚と客観的強度との対応関係についてもRPE(Rating of Perceived Exertion)という観点から多くの報告がある.これらの研究では,運動の速さや距離を「能動的に制御するもの」と「受動的に知覚するもの」という観点の違いはあるが,いずれも人が行う強度の知覚,努力度といった主観的,感覚的な情報と運動の客観的な評価との間には十分に妥当性を持つ対応関係があることを報告している.つまり運動に関する主観的な情報は実践面においても十分に活用,応用が可能であることを示している.
 陸上競技のトレーニングで一般的に用いられるスプリント走を対象とした主観的な情報と客観的計測値の対応関係を検討したものは,これまでいくつも報告がなされている.伊藤ら11)は,意識した努力度合いが実際に行われた運動の全力比相対パフォーマンスとどの程度一致するか,その適合性の面から主観的努力度と走速度の対応関係を検討している.また,村木17)は,スプリント走の中間疾走局面において主観的努力度と客観的計測値の対応関係を走速度およびピッチ,ストライドの変化から検討し,主観的努力度の違いによる動作の変容に関して示唆を与えている.村木ら21)は,これまで意識する努力度の変化幅が80から50%と比較的広かったのに対し90%以上の努力度と高強度な領域での対応関係について検討し,全力マイナス数%の努力度では全力時を上回るパフォーマンス発揮の可能性があることが報告されている.また,小倉ら23),太田ら24)は成人もしくは陸上競技経験者(選手)のみではなく,それぞれ中学生,小学生から大学生までの各年代での主観的強度と客観計測値の対応関係の違いについての報告をしている.これらの研究では,一様に,主観的な情報と客観的計測値の間には一定の対応関係が認められること,意識した努力度と行われた運動の全力比相対パフォーマンスにはいくらかの‘ずれ’があることを明らかにしている.そして,こうした‘ずれ’の把握を前提に,スプリント走における努力度を利用したパフォーマンス調整の有効性あるいは,運動強度決定の指標としての妥当性に関する示唆を与えている.こうした報告は,いずれも定常な疾走段階を前提にそれに対する意識づけを行い,その影響を検討しているものがほとんどである.しかし,スプリント走のトレーニングは定常段階である中間疾走のみをトレーニング課題としたものだけではなく,加速段階を課題としたものも存在する.こうしたことから,加速局面においても主観的努力度と客観的計測値の対応関係を検討することは,加速局面でのトレーニング強度管理にとって重要な示唆を与えられるものと考えられる.
 一方,加速局面は,短距離種目のレースにおいて占める割合が高く,パフォーマンスに強い関係があるといった加速局面の重要性はいくつか指摘されている5,15).運動経過における機能局面は,主要機能局面と副次機能局面とに区別される22)が,スプリント走における「加速局面」,「中間疾走局面」,「速度維持局面」は,目標となる運動課題がそれぞれ異なることから,それぞれが関連しあった主要機能局面と考えることができ,さらに加速局面は中間疾走局面あるいは全体のパフォーマンスに強く影響することから,中間疾走局面の副次機能局面としての性格を持つと考えられる.このようにスプリント走における加速局面でのトレーニングは,スプリント・パフォーマンス改善にとって重要な意味を持っていると言え,そこでのトレーニングには,がむしゃらに大きなスピード発揮を追求するのではなく,中間疾走局面を念頭に置いた上で適切なピッチ,ストライドを構築するといった技術的な課題が求められるべきである.実践場面においても,近年,加速局面での最適な加速を考慮した取り組みが実践でも行われてきている.世界一流のトップスプリンターが加速局面でのトレーニングにおいて体力的な面だけでなく,いかに走るかという技術的側面にも気を配っている25)ことはよく知られている.しかしながら,こうした実践的な取り組みが選手,指導者から報告されたものはそれほど多くはなく,具体的なトレーニング手段を確立するまでには至っていない.
 努力度の利用方法はトレーニングの強度的側面の管理に留まらず,努力度を能動的に変化させることで,パフォーマンスの改善をねいらいとしたトレーニング手段としての可能性も持つと考えられる.金子ら12)は,打動作において努力度を変化させる手順でトレーニング強度を調節することによりより良いパフォーマンスを引き出せる可能性を示唆している.また,前述の村木ら21)は,主に動作面の改善を目的とするスプリント・トレーニングのバリエーションとして全力と最大化努力度を組み合わせた方法を提示している.これらは,最大下での運動遂行の全力運動遂行に対する正の転化を利用しようとするもので,スピード運動における技術的側面の改善に対しては,最大下の努力度での運動遂行が有効である26)という示唆にも裏付けられる.そこでは「最大速度での運動とスピード-筋力機構の発現が似通っている中で,技術習得に気を配ることができる」とその理由が述べられている.また具体的な方法としては,最大速度に近いがそれよりやや低い速度で練習する方法と最大速度からあまり隔たっていない程度の速度をいろいろ変化させて行う方法の2つを提示している.これらは,最大下努力度による運動の遂行がパフォーマンス改善に有効であることを示すものであり,また同時に努力度変化を利用したトレーニングの有効性についても示唆を与えるものである.
 以上のことから,中間疾走局面にとどまらず運動の良し悪しを決定づける前提条件としての役割を持つ加速疾走局面においても,努力度の変化とパフォーマンスの客観的計測値との対応を検討することは,トレーニング実践における負荷の強度管理に関する情報を提供するだけでなく,パフォーマンスの改善をねらいとした,加速局面におけるスプリント走トレーニングの手段として努力度変化の利用可能性を提示できるものと考えられる.

(2)本研究の目的
 スポーツの場面で重要と考えられる主観的努力度による運動の調節に関して,スプリント加速局面への適用に着目した本研究では以下の2つを目的とする.

1. 異なる主観的努力度によって導出されるスプリント走加速局面でのパフォーマンスの段階づけ様相を明らかにすることで,主観的努力度とパフォーマンス(キネマティックス・データ)との対応関係に関する基礎的知見を得る.
2. 上記の内容から,スプリント走加速局面のトレーニングにおいて,努力度を変化させたスプリント走を利用する方法について,その可能性と実施上の指標を提示する.

2.方法
(1)被験者および試技

 被験者は,大学男子陸上競技跳躍選手12名であった.なお,被験者の年齢は21.1±1.9歳,身長は179.7±4.4cm,体重は67.8±5.6kgであった.
 5段階の異なる主観的努力度によって,片手のみを地面につけたスリーポイントスタート(スタートブロックなし)を用いた50mスプリント走を行わせた.本研究はトレーニング実践上有用な情報を提供することを主眼においていることから,スプリント走スタート練習でよく利用される4, 14)このスタート方法を用いた.またこのスタート方法ではスタート後の動きがブロックにより制限される部分が小さい(自由度が大きい)ことから,本研究での努力度変化によるスプリント走パフォーマンスへの影響を検討するには適した方法であると言える.指示した努力度は60,70,80,90,100%の5段階であり,それぞれの努力度はランダムな順序で選択して行わせた.各努力度の試技数は1回ずつとし,試技間は十分な休息を取り疲労の影響が出ないようにした.

(2)測定法および算出項目
 側方から3台のハイスピードカメラによりスタートから30mまでの区間を撮影した.同時に光電管を用い,スタートから50mまで10mごとの区間通過タイムを計測した.得られた画像からスタート後,1歩ごとの接地位置とその時間(接地および離地)を読み取り,ストライド,ピッチ,接地および滞空時間を算出した.30m地点の最も近くに接地した歩までの歩数,距離,時間を求め,0-30m区間の平均疾走速度,平均ストライド,平均ピッチを算出した.その後,各データに関して被験者ごとに,全力時を基準として努力度ごとの相対値を算出した.

(3)統計処理
 Kolmogorv-Smirnov検定により,データ各群の正規性を確認し,F検定による等分散性の確認を行った後,2元配置分散分析(繰り返し数が1)またはFriedman検定により各データ群間の差の検定を行った.有意差が認められたものに関しては,その後Scheffeの方法による多重比較を行った.なお,有意水準は全て5%未満とした.

(4)用語の定義
加速局面・・・スタート後30mまでの区間をスプリント走加速局面とした.
主観的努力度(努力度)・・・主観的努力度とは,運動者が個人の主観的判断によって運動遂行時の力発揮の度合いをある割合に応じて段階づけたもの.本研究では努力度の指示に百分率による数値での表記(全力時を100%)を用いた.本文中では主観的努力度と努力度は同義として用いている.
全力および最大下努力度・・・全力は主観的努力度100%と同義のものとして用い,最大下努力度とは主観的努力度100%未満の努力度の総称とする.本研究では最大下努力度に,主観的努力度60,70,80,90%があたる.
トレーニング・・・狭義の意味では習熟的方向のプラクティス(練習)と強化的方向のトレーニング(鍛錬)は区別して使われている.通常,前者(習熟的方向)でのトレーニング強度は,同一運動を用いても運動制御の必要性から,後者(強化的方向)よりも相対的に低めのものが用いられる.しかし,実践的には双方の意味を含む多様性を有し,実践者の意図する主要なねらいや課題によって区別されているだけである.本研究では,トレーニングは広義の意味として捉えられ,上記の両義性の意味を持つ.
パフォーマンス・・・ここではスプリント走を時間的,空間的な観点から評価したキネマティックな変量として表されるものとした.具体的には,疾走スピード,ストライド,ピッチ,接地時間,滞空時間を用いる.なお,本研究では疾走スピードはより総合的な意味合いを含むパフォーマンスであり,それ以外は要素的な意味の強いパフォーマンスとして区別する.
相対パフォーマンス・・・上記のキネマティックな変量について,主観的努力度100%時の値を基準に,各努力度での計測値を百分率によって相対化して表したもの.
ピッチ・ストライド関係・・・疾走スピードはピッチとストライドの積により算出することができる.一般にピッチとストライドには相殺的関係があると言われ,疾走スピードを構成するピッチとストライドの割合は可変であり,同一の疾走スピードであってもピッチもしくはストライド優勢の場合(前者をピッチ型,後者をストライド型とする)があり得る.ピッチ・ストライド関係とは疾走スピードを構成するピッチとストライドの割合の特徴を意味する.
ピッチ・ストライド比・・・ピッチをストライドで除することで,ピッチ型かストライド型かを判定する指数として定義した.ピッチ・ストライド関係を評価する指標としても用いた.

3.結果
(1)加速局面全体(0-30m区間)における努力度とパフォーマンスの対応関係

 Table1は,各努力度によるスプリント走の30mの疾走走タイム,疾走スピード,ストライド,ピッチに関する諸要因の平均値を示している.努力度が低くなるにつれ,平均疾走スピード,平均ピッチは減少し,平均ストライド,平均接地および滞空時間は増加する傾向を示した.全ての項目において,努力度60%と他の努力度間に有意な差が認められた.その他の努力度間は,平均疾走スピードでは70%と90,100%および80%と100%の間で,平均ピッチでは70%と90,100%および80,90%と100%の間で,平均ストライドおよび平均滞空時間は70,80,90%と100%の間で,平均接地時間は70%と90,100%および80%と90,100%の間に有意な差が認められた.概略的に全力時との比較のみをまとめると,平均疾走スピードおよび平均接地時間は60,70,80%間で,平均ピッチ,平均ストライドは全ての最大下努力度間で,平均滞空時間は全力と最大下努力度間で有意な差が認められた.



 Fig.1は努力度の変化に伴う相対スピード,相対ピッチ,相対ストライドの変化と各努力度内での変動係数を示したものである.全ての項目において,努力度70%から60%での変化率が他の努力度間に比べ大きかったが,全体的には努力度が低くなるにつれて,相対疾走スピード,相対ピッチは減少する傾向を,相対ストライドは増加する傾向をほぼ直線的に示した.努力度60%から100%にかけての相対疾走スピードの変化幅は9%未満であった.相対ストライドおよびピッチの変化幅はそれぞれ,9%,16%程度あり,相対ピッチの変化幅が最も大きかった.各努力度で発揮されたパフォーマンスの被験者間でのばらつきを示す変動係数の値は,低い努力度ほど大きくなる傾向を示したが,努力度60%でのピッチが5.7%であるのを除いては,全て5%未満の値であった.


(2)各努力度での1歩ごとのパフォーマンス変化およびピッチ・ストライド関係
 Fig.2は,各努力度でのスタート後1歩から15歩目までの疾走スピードの変化(左)および,努力度100%での値を基準として,それらを1歩ごとに相対化したもの(右)である.疾走スピードの変化勾配は,スタート後5歩目までは全ての努力度でほぼ同様の増加傾向を示し,統計的にも有意な差は認めらなかった.その後,歩数を重ねるに従い努力度ごとで増加の仕方に違いが見られた.努力度が低い試技ほど加速局面後半部分での疾走スピードの増加率が小さくなっていた(Fig.2-左).また,努力度90%を除く最大下努力度において低い努力度ほど早い段階で全力とのスピード差は開き始めた.努力度90%は後半部分で疾走スピード自体は全力時よりもやや低い傾向を示すが,歩数の増加とともにその差が大きくなることはなかった(Fig.2-右).



 Fig.3は,努力度ごとにスタート後1歩目から15歩目までのピッチ,ストライドの対応関係を疾走スピードと対比した形で示したものである.スタート後5歩程度までは,いずれの努力度においても同水準のスピード発揮をしていたが,そのスピードを構成するピッチ,ストライドの割合は明らかな違いが見られた.努力度60,70%では,それほどピッチを増加させずにストライドを大きくすることでスピードの増加を図っていた.この傾向は努力度60%において特に顕著であった.これら以外の努力度80,90,100%では,全体的なピッチの水準に違いがあるものの変化の様相は似通っていた.まずスタート後6歩程度は一定の割合でストライドが増加するが,その内,前半の3歩ではピッチも大きく増加し,後半はそのピッチの水準を維持するだけであった.そして,その後は増加率としては小さくなるもののピッチ,ストライドが同時に増加していくという傾向が見られた.



 Fig.4は,Fig.3において明らかにピッチ,ストライドの変化傾向が異なった60,70%を除いて,80,90,100%における疾走スピードとピッチ・ストライド比(ピッチ/ストライド)の変化を1歩ごとに示したものである.ピッチ・ストライド比は努力度に比例して高くなる傾向があり,努力度100%のピッチ・ストライド比は,80,90%に比べ,特に前半部分においてその値は大きかった.また,努力度80%と90%間ではスタート後の1,2歩で同程度の値を示していたが,それ以降は90%の方が高いピッチ・ストライド比で推移していた.努力度間で推移する水準の高低はあるものの,いずれの努力度においてもスタート直後のピッチ・ストライド比は高い値を示し,その後徐々に各努力度で一定の値(90%での2.0程度を中心としてその前後)に収束していくという変化パターンを示した.また,その収束の仕方にも努力度間で若干の違いがあり,努力度80%は,90,100%に比べ,より早い段階で横ばい状態になる傾向にあった.


4.考察
(1)加速局面における努力度とパフォーマンスの対応関係

 いくつかの努力度間で相対疾走スピード,平均ストライド,平均ピッチに有意な差が認められたことから,スプリント走の加速局面においても努力度によるパフォーマンスの段階付けはほぼ可能であると考えられる.しかしながら60%を除いた隣り合う努力度間では,その差は統計的に有意な差が認められるほど明確なものではないことから,加速局面における主観的な努力度による疾走スピードの調節は中間疾走局面に比べ困難であると考えられる.一方,努力度ごとでの相対パフォーマンスに関する変動係数は,努力度60%での相対ピッチに関するもので7%程度,それ以外では5%未満であった.このことは全力との対比においては個人差なく,ある特定の努力度に対して一定の値を示すものと考えられる.よって,ある意図した疾走スピードを引き出すための方法として,努力度の変化を利用することがスプリント走の加速局面においても有効であると考えられる.
 一方,全力から最も低い最大下努力度までの相対パフォーマンスの差に着目すると,加速局面における主観的努力度とパフォーマンスの対応関係は,村木17)による中間疾走局面での報告(約20%)と比べ,9%未満と変化幅が狭く,いずれの努力度でもその努力度に対応する相対パフォーマンスは高くなる傾向にあった.これは一つにスタート直後の加速段階(5歩まで)において努力度の如何に関わらず,ほぼ同様な疾走速度を発揮していたことが影響していたと考えられる.本研究ではスプリント走のスタート方法にスリーポイントスタートを用いた.加速局面前半における速度増加には,体幹の前方への傾斜角度の大きさが重要な意味を持っている6,19).これは接地位置に対して身体重心を前方に置くことで地面反力を有効に利用し加速力を得る9)ためであり,クラウチング姿勢によるスタートが重心位置を前方に加速させやすいという理由でもある.こうしたことからスタート直後は加速が比較的容易な状態にあり,努力度を下げたとしても意図せずある水準以上の疾走速度が発揮され,低い努力度において意識した努力度と客観的計測値とのずれが大きくなったと考えられる.つまりスタート直後のパフォーマンスの変化は,努力度の変化によって影響を受けるものの,スタート姿勢によってその変化はある範囲に制限されると言える.従って,実践に際してスタート直後のパフォーマンス調節に焦点をあてた場合,努力度だけでなく予定する加速条件に応じたスタート体勢の設定(上体の前傾の程度等)を考慮する必要があるだろう.

(2)各努力度での加速局面スプリント走が持つピッチ・ストライド関係
 60%から100%までの努力度変化に伴う加速局面全体での平均相対疾走スピード,平均相対ピッチ,平均相対ストライドの変化幅は,それぞれ8.6%,16.0%,9.0%であった.これらの中では総合的なパフォーマンスであると言える疾走スピードよりも,それを構成する要素と捉えられるピッチ,ストライドの変化幅の方が大きかった.また,スピードを構成するピッチ・ストライド関係は,スタート直後の数歩において,努力度の低下にともない,ピッチ優勢からストライド優勢なパターンへと変化していた.このことから努力度を変化させた加速局面におけるスプリント走は,タイムやスピードといった総合的なパフォーマンスよりも,ピッチやストライドといった動作面でのパフォーマンスの変化が大きい特徴を持つと考えられる.
 努力度90%と100%の平均疾走スピードは,統計的には有意な差は認められなかった.一方,平均ピッチ,平均ストライドに関しては双方とも2つの努力度間で有意な差が認められた.統計的に有意な差が認められなかったことが同じ値であることを保証するものではないが,極めて似通った値を示していたとは考えられる.つまり努力度90%と100%によるスプリント走は同程度のスピード発揮をしてはいるが,ピッチ・ストライド比を比較すると相対的に努力度90%でのスプリント走はストライド優勢,100%ではピッチ優勢で疾走スピードを構成していたと言える.また,スプリント走のタイプを示す指標である平均滞空時間13)に関しても90%と100%の間で有意な差が認められたことから,同程度の疾走スピード発揮をしながらも,90%はストライド型,100%はピッチ型のスプリント走をしていたと考えられる.
 一方,努力度60%でのスプリント走では,平均ピッチ,平均ストライド,平均接地時間,平均滞空時間の全てにおいて他の努力度との違いが著しかった.また,疾走スピード増加に伴うピッチ・ストライド関係の変化もピッチによるスピードの増加は極めて少なく,ほぼストライドの増加によるという特徴を示していた.これは,高い疾走スピードを発揮する90%や100%がスタート直後でのピッチの増加を一つの特徴としていることとは逆の傾向である.よって,努力度60%でのスプリント走には他の努力度,特に90,100%,でのスプリント走と「高いスピードを発揮しうる動き」という運動の質的な面において違いがあると考えられる.また,努力度70%でのスプリント走は,加速区間全体での平均スピード,平均ストライド,平均ピッチで努力度80%のそれとは有意な差は認められなかった.しかし,努力度70%におけるピッチ・ストライド関係の変化パターンは,努力度80%以上でのそれは異なるパターンであったが,60%のピッチ・ストライド関係とは全く同じパターンではないながらも類似した傾向を示した.平均滞空時間は70,80,90%の間で有意な差は認められていないことから,これらは90%同様にストライド型のスプリント走であったと考えられる.しかし,ピッチ・ストライド関係の変化パターンの類似性を考えると,努力度80%よりも努力度が下がった場合,ピッチを伴わないストライド型に極端に移行するため,全力時のスプリント走とは質的な変化が著しくなると考えられる.また,努力度80%に関しても,90%との間に平均スピード,平均ストライド,平均ピッチで有意な差が認められず,ピッチ・ストライド関係の変化パターンも類似していたが,平均接地時間には両者間に有意な差が認められた.スピードレベルが低い場合,接地時間の短縮が1歩の所要時間の短縮に影響する1)ことから,この平均接地時間の違いは,平均ピッチとしては違いがないものの,運動全体でのテンポ(1歩ごとのピッチの動態)に違いを生じていたと考えられる.
 以上のことから,努力度段階に応じて,スプリント走の質的な変化には違いがあることが分かる.90%以上では疾走スピードを構成するピッチ・ストライド関係にのみ違いがあり,80%以下では運動のテンポにも違いを生じる.さらに,80%を境界としてピッチ・ストライド関係と運動のテンポ,双方の違いが著しく大きくなり,スプリント走の質的な違いは決定的なものになると考えられる.

(3)努力度変化を利用したトレーニング手段の利用可能性について
 短距離種目において加速局面は,しゃにむにトップスピードに早く達することを求めるのではなく,エネルギーロスを少なくしてレースに最適な疾走速度に達することを目標とすることが良いと捉えられている3).しかし,実際のトレーニングにおいて加速局面をどう走るかという点について,具体的な基準についてはそれほど示されていない.本研究では,努力度を変化させることで同程度の疾走スピードを有しながらもピッチ・ストライド関係において異なる変化パターンを示すことが明らかとなった.そこで得られたデータを基に,スプリント走の加速局面において効率的な疾走スピードを発揮できるピッチ,ストライドの条件を検討したい.実際のトレーニング場面では歩数によるチェックは容易に(目で見て)評価可能であることから,コーチなどが動きの良し悪しを判断する材料として利用する場合がある.そこで,最高疾走スピードに影響する20mまでの初期加速部分2)の6歩目,10歩目を取り上げ,そこに見られるパフォーマンスの特徴を検討した.これらの歩数は,トレーニング実践でチェックポイントとしてよく利用される歩数14)(6歩)であり,また使いやすさを考慮し,きりの良い数字(10歩)とした.
 Fig.5は,全力時のスタート後6歩目および10歩目までの平均疾走スピードと平均ストライド身長比の関係を示したものである.6歩,10歩ともに直線的な相関関係を示していたが,その分布はストライド身長比に関して正規分布しているとは言い難く,単一のデータ群として扱うことはできないと考えられる.そこでストライド身長比の値を基準に,大きい方から5名を上位群,その逆を下位群とし2つ群に分け検討を行った.Table2には上位,下位群の6歩目および10歩目までの平均ストライド身長比,平均疾走スピード,平均ストライド,平均ピッチを示した.

 

 下位群に比べ,上位群の方が平均疾走スピード,平均ストライドは高い値を,平均ピッチは低い値を示していた.こうしたことから相対的に上位群はストライド型の走り(ピッチ・ストライド比;6歩目=2.72,10歩目=2.45),下位群はピッチ型の走り(ピッチ・ストライド比;6歩目=3.03,10歩目=2.64)になっていたのが分かる.ここで,平均疾走スピードに関しては上位群よりも下位群の方が低い値であったことを考えると,下位群は初期加速段階において典型的なピッチ過剰のスピードの頭打ち状態を示していたと言える.そこで,下位群に属する被験者の努力度90%でのスプリント走について同様の項目について比較してみたところ,平均ピッチはやや低下し,特に6歩目において平均ストライドおよび平均ストライド身長比が全力時における上位群の値に近づく傾向が見られた(平均ストライド【平均ストライド身長比】;6歩目=1.43m【0.78】,10歩目=1.64m【0.90】).平均疾走スピードの5名の平均値では,10歩目においては低下する傾向にあったものの,6歩目では全力時と同じであった.さらに6歩目で5名中2名,10歩目で3名の者が全力時の値を上回っていた.このように加速局面でストライド不足,過剰ピッチの傾向を示す選手が,全力よりも努力度を下げた(この場合は努力度90%)スプリント走を用いた場合,運動のテンポ面での違いを生じさせない中でそのパフォーマンス(ストライド不足,ピッチ過剰)を改善できる可能性があると言える.これはザチオルスキー26)の言うスピード運動の技術改善における「9/10の力」の有効性を裏付けるものであり,努力度変化を利用したスプリント走にトレーニング手段として実践的な利用価値があることを意味するものである.しかし一方でピッチの低下に示されるように,努力度の低下はスプリント走のテンポ面での変化を生じさせる可能性を同時に持つと考えられる.疾走スピードの増加には,ある一定(最低限)のピッチを保証した上でストライドを増加させる必要がある10)ことから,努力度を変えるスプリント走においては,このテンポ面での変化があまり大きくならないよう留意する必要がある.こうした意味からすれば,本研究で用いた80%以下という低い努力度は,全力時とはテンポ面での違いが生じることが分かっており,そこで身につけた動きをレース等の全力での運動時に転用するのは困難であると考えられる.よって,90%未満の努力度での運動の実施は,トレーニング目的がある歩数での目標到達距離の設定もしくは確認,ストライド型の走りの体験といったドリル運動的な性格を持つ場合に利用すべきであろう.一方で,村木18,20)は,運動のテンポ(ピッチ)の保証への一つの解答として,全力マイナス数%の努力度の利用を提唱している.また,中間疾走局面でのスプリント走において,90%以上の高強度領域での努力度変化によって,最大下での運動遂行が全力時のパフォーマンスを上回る可能性も示唆されている.実際のレースでは全力でのスプリント走が行われることも考えると,今後スプリント走加速局面においても90%以上の努力度を利用した場合の検討が必要であるだろう.

5.まとめ及び実践面への示唆
 スプリント走加速局面においても努力度によるパフォーマンス(疾走スピード)の調整は可能である.しかし,中間疾走局面で行うそれとは異なり,そのパフォーマンスの変化は明確でなく,20%程度の努力度の変化が必要である.
 努力度変化による運動への影響はスピードといった総合的なパフォーマンスよりもピッチ・ストライド関係,運動のテンポといった質的な面の変化が大きかった.スタート直後の疾走スピードの立ち上がりにおいて,高い努力度ほどピッチ優勢であり,逆に低い努力度ではストライド優勢な疾走になっていた.
 スプリント走加速局面において努力度変化によって,疾走スピードだけでなく,ピッチ・ストライド関係,運動のテンポといった運動の質的な面に違いが生じることから,スプリント走トレーニング手段として努力度を変化させる方法を利用できる可能性が示唆された.具体的には,スプリント走加速局面においてピッチ過剰でストライド不足の傾向を示す選手に対して努力度90%(もしくはそれより上)で運動を行わせることで,パフォーマンスを改善できる可能性がある.90%よりも低い努力度の場合は,全力とは運動のテンポ面での違いが著しいため,全力への動きの転用は困難であると考えられる.よって,低い努力度での運動の実施はドリル運動的な目的で利用することが望ましいだろう.
 最後に,参考データとして,Table3に上位群の全力時スプリント走のデータを基にして最適疾走スピード発揮の基準となる6歩目および10歩目までの到達距離およびタッチダウンタイムを試算したものを示す.これは,加速局面における適切なピッチ・ストライド関係を構築できるように,ピッチに関してはタッチダウンタイム,ストライドに関しては到達距離という形でそれぞれの基準値を身長別に示したものである.例えば,身長175cmの選手が6歩で8.7m,タイムが1.5秒であったとすれば,そこでのピッチ,ストライドはそれぞれ,4.0歩/秒,1.45mとなり,ピッチ・ストライド比では2.76となる.この値は本研究での全力での平均値(疾走スピード=5.66m/s,ピッチ・ストライド比=2.92)よりもストライド型の走りであり,疾走スピードもやや大きいものとなっている.このように各選手の身長に合わせ目標値を設定でき,種々の努力度でのスプリント走を実施する際のピッチ・ストライド関係のチェックに有効利用できるであろう.


6.引用および参考文献
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Abstract

The Influence of Subjective Effort on Sprint Running during Acceleration Phase

Koji ITO *, Yukito Muraki *, Motohiko Kaneko **

* University of Tsukuba
** Junntendo Medical Collage of Nursing

  The purpose of this investigation was to make clear the relationship between subjective effort and objective performance and to observe changes in sprint movement due to different subjective efforts during the acceleration phase of sprint running. Twelve male subjects performed a 50m dash from half-crouching start on five different occasions running at a different subjective effort. Running speed, step frequency, step length, support time and flight time were measured using a high-speed video and electric photo switch.

  The subjects could adjust performance according to subjective effort during the acceleration phase of sprint running, but the relative performance was higher than subjective effort. However, this difference decreased as subjective effort was increased. No difference was observed in running speed among sprints until the fifth step, however, a significant difference in step frequency and step length was observed in the first step of each sprint. The relationship between step frequency and step length with 60% effort displayed a remarkable difference in comparison with the other sprints. It was also found that movement above 80% effort became similar to that of peak performance movement.
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